カテゴリー「神社仏閣」の記事

2018-03-24

高野山参拝

高野山参拝
(2006 4月)
標高900mの山上の仏都高野山は真言宗の
宗祖として知られる空海(弘法大師)が約1200年前に建立した霊場です
山上には壇上伽藍や120余りの寺院が立ち並んでいます

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真言宗総本山金剛峰寺
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金剛峰寺の本堂                金剛三味院
金剛三味院は800年程前北条政子が頼朝の菩提寺として創建しました
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奥の院 空海の廟所で納骨堂灯篭堂等があります
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奥の院の参道 約2キロの参道には杉や桧が鬱蒼と茂り
苔むした石塔が無数に並んでいます
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奥の院 膨大な数の墓や石塔
高野山にいると些細な事に拘って生きるのが馬鹿らしくなります
何か目に見えない大きな力によって生かされているような・・・
人間って何だろう 生きるって何だろう・・・と
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根本大搭
根本大塔のある壇上伽藍は総本山奥の院と並び
高野山三大聖地の一つで夜もライトアップされています
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金堂                 西搭
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宝城院
この寺院で泊まりました
朝は6時20分より本堂でお経様があげられ順次
お焼香をします
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宿坊室内                 朝食
夕朝食共に精進料理です
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高野山大学
高野山には幼稚園から大学まであります
この旅行がきっけとなり巡礼を始めるようになりました


2012-07-19

瑞巌寺 円通院

瑞巌寺
瑞巌寺は臨済宗妙心寺派の寺で 正式には青龍山瑞巌円福禅寺といいます。

中世末に戦乱その他諸々の原因で一時さびれますが 伊達政宗が1604年(慶長9)から5年をかけて再建 名称も瑞巌円福寺と改めます。

江戸時代には伊達家代々の菩提(ぼだい)寺として栄え、また、藩主を迎える場所などが整備さました。

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門を入ると杉並木が続く参道がこの辺りはとても美しいです。

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法身窟

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本堂は改装のためすっぽり包まれて今は外観を見る事は出来ません。

円通院
円通院(えんつういん)は、臨済宗妙心寺派(りんざいしゅうみょうしんじは)の寺院です。

伊達政宗の嫡孫 光宗の霊廟として、正保4年(1647)瑞巌寺第100世洞水和尚により建立されました。

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昔来た時にこのお庭の美しさが印象に残っていて もう一度ゆっくり庭園を見たいと思っていて 今回願いが叶って良かったです。

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瑞巌寺も 円通院も何度か来ていますが 写真撮ったのは初めてです。
時間がたっぷりあったので 改めて美しいお庭をゆっくり散策しました。

五大堂
松島を代表する建造物である「五大堂」は 慈覚大師円仁が円福禅寺(瑞巌寺の前身)を開いた際、「大聖不動明王」を中央に、「東方降三世」、「西方大威徳」、 「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」の五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになりました。

現在の建物は、伊達政宗公が桃山様式の粋を尽くして再建したもので、瑞巌寺に先だって建立されました。
桃山建築としては、東北地方最古の建物です。

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2010-04-27

織姫神社と八木節

足利市の織姫神社へ行ってきました。
足利市は昔は銘仙など織物産業が盛んで 織姫神社は歴史と伝統を誇る足利産業の守護神として お祭りされています。

記録によりますと 明治13年頃より、経糸 緯糸の縁結びの神として、織姫山の中腹に鎮座していた社を さらに上部の山腹を整備して 昭和12年に再建されたのが現在の建物です。
また平成16年6月には 国の「登録有形文化財」として登録されました兼好法師の 徒然草 に足利の染め物の話が出てきまして・・
鎌倉幕府の北条時頼が 鎌倉の足利義氏の屋敷を訪ねたとき
「毎年いただく足利の染め物が、待ち遠しいですね」
と言うのでその後も義氏は着物を作ってさし上げたという話です。

御家人である足利氏は鎌倉に住みましたが 所領はこの下野国足利ですから 義氏も晩年は足利に住みました織姫神社境内からは渡良瀬川も見えます。

縁結びの神様としても知られ若いカップルの参拝も多いとか・・
私もこのブログを見て下ってる方やその他色々なご縁を大切にしています・・(◎´∀`)ノ

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もう一つ面白かったのが 「八木節」の事です。

足利市馬方の堀込生まれの堀込源太(本名渡辺源太郎)が節回しなどを工夫し八木節を完成させたと言われています。
境内の入り口に碑があるのを友人が見つけてボタンを押したらあの軽快な歌声が流れてきました。
noteはあ~さても一座の皆様がたよ~わしのようなる三角やろが~四角四面のやぐらのうえで~note
下はクリックで大きく見られます
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2010-04-01

身延山久遠寺の桜

今年も身延山久遠寺へ桜に合わせて参拝しましたpass
これで三年続けて行ったことになります。
昨年は宿坊で泊まりましたが 今回は日帰りです。
まずは正面の三解脱門(空 無想 無願)に例えられる日本三大山門の一つをくぐります。

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その先には本堂へ通じる菩提悌と言われる287の石段があります。
300程の石段は百観音巡礼の時にも幾つかあって慣れていますが この石段は高さ104メートルあり 天井に続くかのごとく高く急勾配なのですup
南無妙法蓮華経になぞられて七区分されていますので休みながら上りました。
両側の老杉は仏法僧の繁殖地に指定されているようです。
昨年はこの階段を上らず 楽して脇の女坂を行きましたが今回は上りきりました・・と言っても 俗っぽさから免れそうもないけれど・・
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本堂参拝後に 今回どうしても行って見たかったのは裏山にある 「丈六堂」尼寺です。
受付で聞いたら
「昨日熊が出たそうでお勧めは出来ませんねぇ それに登りで時間もかかりますよ」
「う~んそれが目的で来たんだけど・・まあ途中まででも行ってみます」
良かった! 前後何人かの人も居られて 森の中を安心して登っていきました。

丈六堂は日蓮上人が 身延山へ御入山したある日 周囲の紅葉の中の老松に紫雲がたなびき分身の諸佛を御覧になったとか・・
そこでこの森を「錦の森」と名付けられたそうです。
その後徳川家康の側室 「養珠院お万の方」が 一丈六尺(約5メートル)の釈尊像を建立されて以来ずっと尼僧がお仕えし伝統を護り続けて現在に至っています。
古い堂の中には金ぴかのお洒落な?釈尊さまがいらっしゅいました。
日がなここで暮らすという事は凄いことですねconfident
丈六堂
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その後は途中の鬼子母神さまにお参りし 熊に襲われることもなく無事に降りてきました。
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久遠寺は枝垂れ桜の名所・・境内には樹齢400年と言われる桜を始めさくらさくらで本当に綺麗です。

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日差しが強過ぎて写真は撮り難くかったし 時間的にもゆっくり出来ませんでしたが 大きな満足感の中、 久遠寺を後にしました。

2010-02-17

足利氏の鑁阿寺

足利市の鑁阿寺(ばんな寺)は足利学校に隣接しています。

ここの梅の花も知られていて 寒紅梅が見頃だと新聞に出ましたが白梅も見頃になっていました。
この鑁阿寺は大日如来を本尊とする真言宗の古刹で 大日様 と呼ばれています。

室町幕府を開いた足利尊氏で有名になった足利一族の発祥の地で 源性足利氏2代目義兼が建久7(1196)年邸内に持仏堂を建て、守り本尊として大日如来を祭ったのが始まりで、3代目義氏が堂塔伽藍を建立し足利一門の氏寺としました。

ここは寺というよりも鎌倉時代の武家屋敷としての面影があり 周りに水堀があり大正11年に足利氏邸宅趾として国の史跡に指定されています。

水堀の周りは桜の大木があり堀には鯉や鴨がいます。
ここの鴨のヒナが誕生すると子育ての様子が新聞に載りますので今度は是非撮りたいと思っているのですが・・・

鑁阿寺とは話は違いますが ここ足利市は昔「銘仙」という織物が盛んでした。
又書家であり詩人の「相田みつを」の出身地でもあります

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2010-01-10

深川不動尊

明けましておめでとうございますnew
お元気に新年をお迎えになられたことと思います。
私も忙しくも元気でした。

今年は所用があって娘の家にいまして長いお正月休みになりました。
ゆっくりペースですが又更新しますので今年も宜しくお願い致します。

上野東照宮の冬牡丹が はや見頃という事で 友人ご夫妻と一緒に鑑賞方々初撮りしました。
写真よりずっと綺麗ですからお勧めですgood

それにしても牡丹は春と冬と二度も咲くのですね。
二季咲き性の牡丹を使って 春に作られる予定の 花芽を摘んで秋にできるつぼみを冬に開花させるのだそうです??・・ちょっと難しいthinksweat01

地温等のコントロールがかなり難しそうですよ。          
花言葉・・高貴good


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深川不動尊 正式名は 「成田山東京別院深川不動堂」
明治14年不動堂が完成したという事です。
名前は聞いていましたが初めてお参りしました。

「贅沢はいいません! どうか皆が健康で無事に過ごせますように・・」と祈って参りましたscissors

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2009-04-02

宿坊に泊まって身延山参拝

日蓮宗の総本山身延山久遠寺へ参拝に行ってきました。
夫のお父親さまが分骨されています。

昨年は日帰りで行きましたが 時間がなくてあわただしく帰ってしまいましたので 今年は宿坊で一泊して参拝です。

総門から歩き 本堂はじめ奥の院 菩提悌 報恩閣 御心骨堂 祖師堂 御廟 日蓮上人の御草庵跡など 二日かけて隅からすみまで心を込めての参拝方々見物してきました。

二日目の朝は6時から本堂で荘厳な雰囲気の中 40人ほどの僧侶によって朝のお勤めが行われ こちらも参拝してお焼香しました。
身延山は桜が満開で本堂から出たらカメラマンがいっぱいで吃驚しました。

勿論 私もその後 桜の撮影に走り回りrun 宿坊へ帰っての朝食が遅くなってしまいましたsweat01
その後は参拝見学撮影と時間をかけ歩きましたが 身延山は坂や階段が多く移動するのに息切れして体力の衰えを感じましたsweat02

行きは新宿から「あずさ9号」(♪あずさ2号で~♪ではなかった)に乗り 甲府からは身延線「ふじかわ」の特急に乗りましたが身延線は単線なので特急でもゆっくりでしたdown

お土産は「元祖みのぶ饅頭」を買いましたが重かったsign03
身延駅前では山梨の工芸品「印傳屋」の財布を見つけ・・
これは以前友人が小さい財布を頂いて・・使い勝手が良かったのに無くしてしまって残念に思っていたので 迷わず買いました。

参拝とはいえ1人で宿坊の旅は初めてでしたが 自由で快適で良かったです。
そんな身延詣ででしたが私の中では又ひとつ区切りがついたというか 気持ちがすっきりしました。
桜と身延巡礼については又後ほど纏めてホームページにUPするつもりです。

あずさ9号・・車内も新幹線より綺麗くらいでした。
この時期は春霞が多いのに この日は奥の院から富士山が見えましたscissors


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2008-07-05

立石寺(山寺)参拝

山形県の立石寺に行ってきました。
(やまでら)の通称で知られ 古来より悪縁切り寺として知られています。

鎌倉時代には幕府の保護を受け大変栄えましたか 後に焼失し13世紀中頃には幕府の政策によって禅宗に改宗・・・1356年斯波兼頼によって天台宗に戻りました。

円仁との関係が深い寺院であるといわれていますが創建の正確な時期や事情については諸説あり定かでないよです。

(1689年)に松尾芭蕉が旅の途中に訪れ、その時のことがおくのほそ道に書かれていて
名句「閑さや巖にしみ入る蝉の声」と詠んだ句碑が参道にあります。

如法堂(奥の院)までの階段は約1000段あり 気温27度の蒸し暑いなか汗が目に滲みて痛かったです。

友人は登山で慣れていますが私は奥の院まで30分かかりました。
今までの巡礼の寺より一番きつい階段でした。

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2008-04-03

身延山久遠時

昨日は日蓮宗総本山の身延山久遠寺へ参拝しました。
日蓮上人が晩年を過ごした地として開かれた本山です。

夫のお父さんも分骨され納骨されていますので 一度参拝したいと思って日帰りツアーで行きましたが 丁度桜が満開で観光バスや乗用車で大渋滞でした。

宿坊での精進料理の昼食後 ロープウェイで標高1100メートルの奥の院へ参拝・・ロープウェイも大混雑で並んでやっと下りたらもう5時近くで 急いで本堂へ参拝しました。

最初から参拝が目的ですから 桜は見られればラッキー くらいに思っていましたが ぴったり満開となり見事な枝垂れ桜を見ることは出来ましたが まだ参拝したい箇所もあり 次は個人で 宿坊に泊まりゆっくり参拝して散策したいと思いました。

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2007-03-31

八百屋お七の墓

東京中山道の近くに八百屋お七のお墓がありました。

天和の大火で八百屋だったお七の家も消失し円乗寺に避難しましたが そこで小姓の佐兵衛と恋仲になりました。

八百屋は再建されて家に戻りましたが 佐兵衛に会いたい一心で放火し大罪で捕らえられたお七は天和3年3月29日火あぶりの刑に処せられました。
数え年で16歳だったそうです。

ビルにはさまれた円乗寺にお墓やお地蔵様があり 私達が訪ねた日は 偶然お七の命日で参拝の人も来て居られました。

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